PTSDは、無関係な人への攻撃での免罪符にならないのでは

最近仕事が忙しく色々とやってみたいマルウェア話を保留してたりしますが、はてな界隈で気になった話が引っかかりどうしょうもなく。


検索避けのため原文を改変しますが。
「虐待でPTSD心的外傷後ストレス障害))だから攻撃的な内容にする場合がある」と断りを入れるブログは、外的な関わりを避けているうちはそれがいかに口汚くても、「あー勝手にやって」みたいな。
だけども、これが「自分の輪」から「他所様の輪」に突撃して攻撃しはじめた場合ってのは、どうなんだろうか。
うー、すいません。あまりうまく尺度をこの場で明記できません。


「あるタイプの気質だから他人を非難するのは当たり前であり、そんな自分をまるで当然のように許してね」的な態度なのかね。自己の攻撃的かつ破滅的行為により危害を与えうる者または関係者に対して、「自分は弱い人間なのよぉ、きゃは」ってのは、意味不明で。
予め自身の攻撃性の矛を向けた相手よりの反感を軽減したり・かつ自身の保身の目的で、免罪符状態なものとしてPTSDなるものを持ち出してるんじゃないかな。
つまり、自身が何をやっても許される超越的な存在として振舞う目的で、PTSDだの被害者だのと標榜してるだけかと


あまりうまく説明できない、モヤモヤした感情として。
仮定の話として。もしもある公共交通機関の事故によりPTSDとなった方は、その企業を非難する上で「あー過激に記載してるけど仕方無いんだろう」との共感は得られるやもしれないんだけど。
全く無関係な話に対して、世の中のありとあらゆる方々に対して「自分はこんな人なのよぉ!他人を叩き非難するのが生き甲斐なのよぉ!だけども反論しないでね」的免罪符として、PTSDなんてのを持ち出すべきなんだろうか。


じゃあ、PTSDならば何をやっても許されるとでも?誰に対しても口汚く絡んでも許されるとでも?
違うだろう。


そもそも本当にPTSD心的外傷後ストレス障害)なんだろうか。PTSDか否かは医療の場での尺度により判別されるんだろうけど。
自分らは長らく人生を送ってきて、その中で多くの挫折や失敗を重ね、そして今生きてはてなに書き込んでいる。
「ある日こんな体験をして自分は激しく心が傷ついたんだけど、だから全く無関係な話題の君を非難し人格攻撃するけど当然許してね」なんて、全く無関係な人物に対して言えるのか?
違うだろう。

翌日追記

病院に本当に行っていたのか医師の診断を受けてPTSDと自称していたのか、他所様への当人の病院や医療に対するコメントを眺めてたらば疑問を感じ、違和感を覚えた。