一次情報発信者は、過ちを訂正させられないんだろうか

OYAJI氏関連記事絡みなのだが、どうも解釈がわからないブログがあり。
火元は「もう一度、転載について(9) 危険性を知りながらもなお転載機能を使う理由について(楽しむYahoo!ブログの作り方♪)(http://blogs.yahoo.co.jp/uragoe_2ch/43672177.html)」は、善意の転載問題とOYAJI氏のアクセスアップ戦略(Lucablog)なんだけど、まあ。

『また、変更追記が必要な転載記事であれば、それが可能になるように工夫すれば良いのです。』


誰が何と言おうと、これだけは絶対に容認できない。自分で書いた記事にしろ、転載記事にしろ、「自分の責任において公開」している「自分のブログ上の記事」であることに変わりはない。
それを他人(たとえ元記事作成者であっても)が土足で踏み込んで、過去に放棄(譲渡)したはずの著作権を誇大解釈して「改竄」するなどという行為は、断じて許される行為ではない。
記事を人に例えるなら「強盗殺人」にも値する凶悪かつ卑劣な犯罪に相当する行為であるというのが、私の認識である。(私のブログ上でなされた「赤文字」に対しては、その程度の言葉では言い表せないほどの強い憤りを感じている。)


そもそも、変更追記が必要な記事を「転載可能」にすること自体が「危険」だとなぜわからない?(その前行の記述とも矛盾すると思わないか?)


「過去に放棄(譲渡)したはずの著作権を」と言いますが、放棄(譲渡)されたのでしょうか、誰かが。
一応、著作権と著者者人格権は別として。
それは置いておいて。


OYAJI氏は「最初の時点で違法な内容の画像や記事内容を掲載しなければ良いだけ であり、間違いを修正しなければならないような内容の記事を転載許可しなければ良いだけ の話です。」と転載者の立場より記載しており、「児島の仙人のきまぐれメモ」でもそうなのだろう。
「児島の仙人のきまぐれメモ」管理人さんの見解によれば、「ある時点で掲載された記載を転載した内容は、転載者による作品である」と考え、「自分のブログ上の記事」と記載しているんだと思う。
(「児島の仙人のきまぐれメモ」管理人さんが言及している事例は、元ネタの記載をピョコピョコと変えられるような事例での話か?)


ブログなるものは、転載された情報のみにて形成されるのではなく、転載者による独自の解釈なり感想が加わって更なる価値を増すのだろう。
もちろん稀に(いやかなりか?)他所よりの転載「のみ」で形成されるようなブログも存在するんだけど。アフィリエイトブログとかでは多いよね。


「児島の仙人のきまぐれメモ」管理人さんは、「転載部分」についての話を展開しているのであり、それに対する転載者が加える解釈について白熱しているのではないような気がする。
そこで、転載された内容そのものではなく解釈が不適切である場合、一次情報発信者の視点から見つめ直せばどうなんだろうかとふと思いついた。
一次情報発信者が転載者に対して、「転載された内容への解釈が間違ってる!」と訴えるだけの権利があっても、おかしくはないだろう。


自分はネット上に一次情報を何度も公開した経験がありますが、それを転載した二次情報、三次情報と世代を経る毎に、どんどん内容がおかしくなったのを幾度か観察しております。
一次情報の内容がどんどん曲解され、稀に全く逆の主張であると勘違いされたり。
酷い場合は何の関係も無い話が「Lucaさんの主張」であるかのように書かれたりとか。


「まさかこんな勘違いをされるとは!」と驚き、掲載している内容に注意を付記した経験は一度や二度ではない。
もちろん自分の文章力不足もあるんだろうけどさ。


それで下記の内容をコメントにて掲載しようとしたんだけど、投稿できなかったのでトラックバックを送信してみる。

何度も読み返しよくわからない部分なんですが。
「過去に放棄(譲渡)したはずの著作権を」とは何を指すんでしょうか。

次に。
『自分の責任において公開」している「自分のブログ上の記事」である』ならば、転載した時点で内容に関する解釈やそもそも「転載したという事」に対して、ある程度の責任が転載者に生じますよね。

その後の記載にチグハグ感があるんですが。
『変更追記が必要な記事を「転載可能」にすること自体が「危険」だとなぜわからない?』は、単なるOYAJIさん憎し的な話なんでしょうか。
いきなり二次情報者が転載した場合の責任なり転載するか否かに対する判断が、適切であったか否かなどの話がすっ飛ばされてしまい、数行前の内容と全く繋がりが感じられないんですよ。

それでですね。
このブログエントリ(児島の仙人のきまぐれメモ)は、変更追記が必要であると自分は感じております。
Yahooブログにおける転載の仕組みとは多少乖離してはしまうんですが、『「転載可能」にすること自体が「危険」』と唱えるならば、このブログエントリはどうなのよと。