子供の全ては遺伝ではなく環境との説

元ネタなどの紹介無しで、すいません。諸般の下らないセンシティブな事情がありまして。
教育論とか知育とか、そんなのをテーマにする話があり。どうも納得がいかないと言いますか、不審さを感じるんですよ。


ありていに書いちゃうと、子供は生まれながらにして白紙な状態であり。教育で全てが決まるって話への反感。
子供の適性を遺伝的素養と環境的な要素に区分してしまうと、音楽家の子供のリズム感は遺伝的なものなのか、または幼児期から接する音楽の満ち足りた環境なのかと。
人類遺伝学を持ち出すと、優生学とか差別論とか変な話に突入してしまうんで。
激しく違和感を感じる部分だけに言及。


全ての子供が生まれながら白紙であり、その後の環境によりありとあらゆる適性なり素養が決定されてしまうと断言するのは、乱暴ですよ。
絶対音感の仕組みはよくわかりませんが、ある集落の人は一般的な人とは聞き取れる周波数が違う事例などが世の中にはあるそうなので、全ての人がある特定の音楽の分野において並列なスタートラインを持っているとは言いがたいでしょう。
これは教育でどうこうできる問題なんでしょうか。
あるタイプの音階をよく使う音楽があったとし、特殊なローカルな地域での伝統音楽であったならば、その演者のセンスは遺伝的素養により左右される部分が大きそうですよね場合もありそうですね。


次に、子供の全ての素養は、生後の経験に基づくとの説。
某研究者の話はあまりにも暴走して、全ての子供が生まれながら全く同様との論点に終始しておりますが。
言っちゃっていいですよね、裏事情を知っている身よりの暴論を一つ。
某研究者のお子さんは、親御さんたる当人とは全く適性や興味の方向性が違うようですが、子供の顔が近隣の家のおじさんと劇似してたりしませんよね?


人類遺伝学を語って表に出るならば、一重まぶたと二重まぶたの遺伝様式程度は知っておいた方が宜しいかと。
お子さんの成長を楽しみにしておられる親バカ感は存じてはおりますが。あなたの子供から生まれるようなタイプの子供なのかと。
終了。。。。。。。。。。(あまりにも下らない話ですいません)。

断りとして(2007年3月26日追記事項)

このブログエントリは、知人との口論を再現したものであり、ネット上の特定の団体などとは無関係の話です。