赤ちゃんポストと、捨て子扉

熊本市の慈恵病院が「赤ちゃんポスト」なる施設を設置する計画について、最近色々とニュースになっている。
「捨て子ボックス」である。


西洋では、修道院や教会などに生まれたばかりの乳児を置き去りにする事件は、中世の頃より多かったみたいで。
修道院などは児童養護施設のような役割を果たしていたのだ。
捨て子を置き去りにする場所として、「捨て子置き場」が教会に設置されていたり。
寒い季節、建物の外では発見が遅れれば、命に関わる。もうちょっと進んだものとして、捨て子を入れると建物内にガコンと取り込まれるようなものが開発されたようだ。


近代の「赤ちゃんポスト」に相当するものは2000年にドイツで生まれた。
ひとは如何にして子どもを「捨てる」か――ドイツにおける「捨て子ボックス」の現状報告――
この保温された「捨て子用無人窓口」ができた直後に、海外ニュース番組で見た記憶がある。病院の前などに捨てられた乳児が凍死しないようにとの配慮のために設置されたんじゃなかったっけ。
熊本市の慈恵病院が設置しようとしているのは、同様のものらしい。

親が育てられない新生児を引き受ける「赤ちゃんポスト」を厚生労働省が事実上容認したことについて、政府内で23日、「子捨ての勧めになりかねない」(政府高官)と懸念を示す声が上がるなど慎重論が出始めた。
安倍晋三首相は同日、記者団に「ポストという名前に大変抵抗を感じる。子供を産むからには親として責任を持って産むということが大切。そういうお子さんに対応する施設もある。匿名で子供を置いていけるものを作るのに大変抵抗を感じる」と述べた。
http://www.sankei.co.jp/seiji/shusho/070223/shs070223003.htm

海外の捨て子ボックスは、「どんどん捨てて下さいねー」と促すために設置されたのではないはずで。乳児殺し事件などを回避する目的で、またどこか人目につかない場所に遺棄されそのまま死亡するのを防ぐ目的だったのではなかろうか。
キリスト教圏では堕胎がかなり難しい問題となり、中絶が容易ではないのも背景にあるのだろう。


結果として捨て子を助長してしまうのでは、と考える人が居るのもよくわかるし。自分も似たような感覚。
「子捨ての勧めになりかねない」と。
慈恵病院が現代の捨て子扉を設置するには、まだまだ議論するべき余地はあるようだ。社会からの認知が得られるのかしらと。
もっと他のやり方があるのではなかろうか。

文化の黒船としての論点(2007年3月14日)

「こうのとりのゆりかご」設置は難しい問題…なの?(good2ndの日記)なるブログにコメントを書こうとしたものの、何故か受け付けておられないようなので、自分のブログに書いてトラックバックを送信してみる。
主たる論点は子捨てを助長するか否かのみではなく、日本にてこのような施設の設置が倫理的に許容される余地があるのか否かでしょう。
まだまだ多くの議論すべき余地はありますし、安易な結論を導くのは早急ですよ。

いずれにせよ「美しい国」とかいう中身のないキャッチフレーズや、自分好みの「親のモラル」や、何となく建前を大事にすることなんかより、子どもの福祉を徹底的に考えること、それが一番重要なことだと思うし、その意味で慈恵病院の「まず命を助けること」という考え方は、圧倒的に正しいと思います。

では、good2ndさんが軽視している視点から一つお題を。
キリスト教的文化では、受胎後の胎児は一つの生命であり人権を兼ね備えた存在であると考えられます。
good2nd氏は望まない妊娠では堕胎あるべきとの前提で唱えているように、自分の目には読めてしまうんですが。
「子供の福祉」や「命を助ける」とのたまいつつ、一方では堕胎を。これってある文化に基づく基準では、メチャクチャな話なのですよね。
日本国内では堕胎は事実上許容されているものの。
海外のキリスト教的文化圏では、日本ほどには堕胎に対しては寛容ではないのでは。
(レイプ被害者などの特殊な事例であっても「望まない子供を産むこと」を周囲の方の価値観が強要するケースがありますが、この際置いておく)


ある意味で凄く嫌な言い回しをしてしまいますが。
good2nd氏は「彼自身が許容する堕胎と言う名の、命の断絶」を促し、結果として「海外のある文化圏では人殺しと同義とされる行為を推奨」しているんですよ。
そして「まず命を助けよ」と語る、言葉の軽さよ。
彼はある文化圏では許容されるような言動をしているけど、ある文化圏では排斥されうる考えを投稿している。
価値観や倫理観は、地域や文化や宗教的背景により多様なものです。
彼はそのような背景を全く理解していないし、相互の違いをいかに乗り越えていくのかとの試行錯誤を最初から放棄している。


新しい制度や社会の仕組みに対峙するには、ましてや人命が関わる話では、慎重な姿勢で考えねばならないのではないでしょうか。
こうのとりのゆりかご」なる捨て子ポストが許容されるべきか否かと、good2ndさんが唱える子供の福祉のあり方は、必ずしも合致しません。


論じられるべきポイントは、日本でのある「文化」が、捨て子ポストを寛容できるのか否かです。
また紹介記事が引用した読売新聞の記事にしても、「医療法や児童福祉法に違反しているということは言えない」で。保護責任者遺棄罪については、「ケースバイケースで判断され、直ちに法に抵触するとは思われない」であります。監督官庁は玉虫色の回答を示しましたが、「OKを出した」の意味ではないでしょうに。


ある政治家への揶揄などは、どうでもいい下らないレベルの宜しい卑しい問題だ。
自分らがまず考えねばならないのは、異種の文化における風習を日本に導入し定着させられるのかを論じる議論ですよ。